Night And Day
ふわっと、風も何もない場所から空気が動いた。カーテンが微かに揺れた。
常人から見れば奇怪なそれも、二階にある一護の部屋ならば誰の目にも触れることはなかった。
闇に浮かぶ月。月光が差し込む。
それに照らされて、寝ている一護の輪郭が明瞭になった。
風の正体は黒衣を纏う死神。
何もかも取り込んでしまうような黒に張り合うかのような、鮮やかな赤い髪をした死神が、一護の顔にそっと触れる。
「黒崎、」
やはり寝ているか。
吐息の調子で察してはいたものの、些か気を落としてしまうのは仕方がない。
しかし起こすのも忍びなく思えたその男は、そのまま窓際に腰掛ける。
さわさわと部屋に通る風は柔らかく、夏の暑い夜に冷気を運ぶ。
男は何をするわけでもなく、ただ一護を眺めていた。
「――ん、・・・?」
月明かりが眩しいのか、一護が顔を顰めた。
然程深い眠りでもなかったようで、意識はすぐに浮上したようだった。
「目、覚ましちまったか」
そっと男が一護に手を伸ばした。掌を瞼の上に優しく乗せる。
不快に感じることもなく、一護は黙ってされるがままでいる。
しかし、流石に誰とも知れぬ相手を怪しんで、目を押さえる太い腕を掴んだ。
寝起きのはっきりしない声で一護は問うた。
「だれだ・・・?」
途端に大気が震えた。
男の放つ怒気に、一護の背中に冷や汗が流れる。
一瞬ではあったが、確かに殺気混じりの圧が一護を襲った。
「てめえ、寝ぼけてんじゃねえぞ」
俺の他にここに来る奴がいるのか?
苦々しい声音で吐き出された台詞に、一護の目が一気に見開く。慌てて身を起こせば、自分しか居ないはずの部屋の窓に座る男が。
「え、っと・・・何なんだ?あんた、誰だ」
「まだ寝惚けてんのか」
男は鋭い目つきで睨みつけた。
仕事を必死で終わらせ、この日に合わせて休みまで取ったのに、肝心の本人に知らぬ顔をされては腹立たしいことこの上ない。
男は掴まれている腕で、一護の頭を容赦なく殴った。
「痛っ」
「さっさと目ぇ覚ませ!馬鹿かお前は」
「んだと!」
痛む箇所を抑えながら一護は不審者を見上げる。
「え?・・・お前、恋次、か?」
「それ以外の何に見える」
「・・・、あ?・・・・・・夢じゃなかったのか・・・?」
ふ、と一護は微妙な顔をした。
まだ起きてないのかと、恋次は再度腕を振り上げる。
「てめえは何言ってやがる。俺の夢でも見てたのかぁ?」
「違えよ。・・・夢だと思ってた」
「何が」
「全部だ。・・・お前は存在してなくて、尸魂界のことも全部俺の夢の中の出来事だって思ってた」
「ああ?ふざけんじゃねえ!」
勝手に夢にして忘れるつもりなのかお前は。
「そ、うだよな。・・・夢な訳ねえか」
「あったりめえだ馬鹿野郎」
振り上げた腕で、一護の頭を軽く叩く。
一護の表情は安心したのか悲しいのか、泣きそうだった。
透き通った琥珀が男を写し、必死にその存在を確立しようとしている。迷い子のように、軟弱な眸。
意味のない苛立ちが男を襲い、それを逃すために視線を外へ移した。
月は変わらず其処あり、見上げる人には攫めない。しかしどんなに焦がれても近づくことさえ叶わない。実体でない、水面の月と同じだ。そして、光るあれが紛い物ではないとは、決して分からないのだ。
一護も、似たような考えに捕らえられているのか。攫めなければ確信など持てないのか。
男は自分の着物の裾を握り締める一護の手を、そっと外した。
「夢じゃねえよ。てめえが幾ら忘れたいと思っても消えねえんだ」
「・・・ん」
「さあて、完全に目覚めたところで行くぞ」
男は一護に苦言を言う暇さえ与えず、魂魄だけを抜き取る。
細い腰を抱え、全開の窓の外へ踏み出した。
慌てた一護はバランスを取るために男の広い肩にしがみ付く。
「お、い!何すんだ」
「良いから黙ってろ」
重力に影響しない霊子体は、ふわりと宙を舞うように飛んだ。
歩くよりも走るよりも疾いスピードで闇夜を翔ける。
いつもと変わらぬ風景がありえぬ速さで過ぎてゆく。
所々光る電灯の残像が、光の尾びれのように暗闇を彩る。
風の音は轟々と耳に響き、尚一層静かさを協調する。
死神しか見得ぬだろう、風景。しかしこんな風にまじまじと見たことはない。殆どは虚の退治の前後だから。
一護は見慣れぬ街並みに見惚れた。
これほど自分の住む世界が見事だとは思わなかった。
男の逞しい体に全身を預けながら、去っていく町をただ見送った。
「すげ・・・」
零れた呟きを拾った男は、聞こえぬように微かに笑う。
無邪気な子供の様子に、偶には甘やかすのも悪くないと思う。
一護を抱く腕の力を強くして、男は高く跳んだ。
「落ちんなよ」
「おうっ!」
元気一杯の無邪気な返答に、噴出した。
今は一護の眉間の皺も緩んでいるのだろう。
「餓鬼だな」
「うるせえ」
くくく、と喉の奥で笑ったつもりが、寄せた身ではすっかり分かってしまう様で、耳の近くで拗ねた声が聞こえた。
それさえも一護の幼さを顕にして、身の奥から湧き出る愛しさ。
「なあ、おい」
「何」
「迷う必要なんかねえよ」
「・・・」
「大事なもんを攫んでりゃ、いいんだよ」
「・・・ん」
月の見える開けた土地で、足を止めた。
腕で囲んだ体を温めるように抱きしめて、空を見上げる。
一護も静かに眺めている。
「恋次、」
「何だ」
「今日、お前に会えて良かった」
「ああ、・・・俺もだ」
口付けて、柔らかい舌を食む。煙草を嗜む自分とは違い、皇かな感触だ。
首筋を辿れば一護から吐息が漏れた。
抗う腕を押さえて薄い肉付きの体を撫で上げる。
次第に早くなる自分の鼓動に、それ以上は自制して。
重なる体温に互いに安堵した。
細い腕が背中に回り、硬い腕が腰を抱える。闇の中二人、じっと佇んでいた。
数時間すれば暗闇は去っていくだろう。
盲目の世界は消え、自分は死の世界へ帰らなければ。
代わりに一護と同色の光に満ちていき、子供は生の道を歩くのだ。
しかし今ここには境などなく、ただ二人だけだった。
END.
各務様コメント
一護さん、誕生日おめでとうございます。そしてありがとうございます。
祝福と感謝と愛を込めて。
読んで下さってありがとうございます。少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
こちらも誕生日DLF小説でしたv
修一のみならず恋一まで素敵です☆(うっとり)
夢ではなく現実の世界で出会える幸せに
つかの間だけでも浸ってて欲しいですね・・・。
各務様、重ね重ねありがとうございました!
2005.10.9